ナビゲーション

2011/10/03

余白とゆらぎに宿るもの 東京μ粒子@テルメギャラリー



日曜。
夕方にぶらぶらと松岡一哲写真展@テルメギャラリーを見に行った。
イッテツくんとは最近DJの時に出会ったのだが、大学が同じで地元がほぼ同じ、
さらに奥さんのmariiちゃん(美人)とは、大学時代にM出版社で一緒にカメラアシスタントでしごかれており、
同じく奇跡的な再会を果たした。
夫妻の営むテルメギャラリーは、都立大の商店街の八百屋の隣にある。

そして、この写真展がとても良かった。
可愛いい女の子のポートレイトや日常の景色には
目に見えない余白のようなものを強烈に感じて、
音楽でいうとダブ感覚、音のすき間の無音に宿るもの、
もしくは印刷の版ズレのようなゆらぎが滲んでいた。

写真は英語では光を描くという意味で、つまり真を写すものではないらしい。
光には様々な波長のスペクトルがあって、可視光線も不可視光線も含んでいて、
それはいつも虚と実のまわりでゆらゆらと揺らいでる。
0と1の整列やアルゴリズム、言語や名前の概念からはみ出る余白、
それらに宿るちからは境界線をぶちこわしてくれる。

たぶんあたしたちの日常にブレッソンの決定的瞬間はない、
そこには虚実とそれを媒介する何かがあり
熱さも冷たさも、愛も毒もすべては等価なのだ。





http://www.thermegallery.com/