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2012/06/05

狂いのセンス


人はよく何かすごいものをみたら「ヤバい」と言うけれど、やっぱり皆どこかで狂いたいんだと思う。
実際にクレイジーとよばれた人々の発明が結果として世界を変えてきたのだし、例えばあらゆる古典芸術は生まれた時にはモダンアートであったのだし、人は本当のクレイジネスに触れた時、人類の記憶としての直感が反応するのかもしれない。

そもそも完璧な人間なんかいないと思っているし、世界は割っても割り切れるものごとばかりではないし、あたしはずっと狂ってるし、世界の神秘や謎どころかこの理不尽なシステムを解読・認識するだけで1日が過ぎ去るような瞬間にいて、正常に思考する人間なら誰しも狂うと思う。それに気づかないまたは麻痺するふりをするのも狂ってるし、どちらが正常でどちらが狂ってるのか。
だからこそ意識的に生きるのは恐い、でも思考放棄した時からソフトに死んでいく、夢は日々元気に死んでいくのだ。だからこそ、いまは意識と無意識を上手に操らねばならない。

だから狂いを見極めなきゃいけない、中途半端な狂いに憧れ、いいかげんな刺激や斬新さに惑わされちゃけない、安易な刺激への慣れは感覚を麻痺させ、自我を解放するどころか控除する。自分の頭を使って考え、良く見れていればわかるはず。
もっと狂え、狂え、でも狂うポイントを間違えちゃいけない。どうせなら面白く狂って人のためになれ。

2012/01/07

謹賀新年 2012































本年もなにとぞよろしくお願いします。

2011/12/24

Hey! Bo Diddley


bo、あなたのような菱形ギターを弾くのがあたしの夢なの。
ギターは打楽器にもなるってことよね。
こんなビートとアタック音だけで、ダンスミュージックを1曲作ってみたい。
ドラムの音を、全部ギターに置きかえるってどう?

2011/12/18

右側に気をつけろ

”南米の作家が言った。
新しいものを作ろうとするのではなく、かつてあったものを書け”

一枚の写真、一枚の絵、一つの言葉
それは世界の捉え方の表明である
触れた瞬間に、世界がまったく新しいものに見える、新たな目を得る
例えば動いているのは地球のほうだったと気づく瞬間のように
なぜアートを音楽を文学を旅を必要とするのか
きっと新しい世界を見たいのではなく
もともとあったはずのものを見たいのだ

2011/11/13

mule musiq endless flight


























12/9 fri @eleven tokyo
Live: 
Isolee(pampa)
Arto Mwambe(live at robert johnson)
DJ: 
Toshiya Kawasaki
VJ: 
leitfaden
Lounge: 
Ackky(Journal)
HARUKA(FUTURE TERROR)
Maki(Liveloves)

2011/10/03

余白とゆらぎに宿るもの 東京μ粒子@テルメギャラリー



日曜。
夕方にぶらぶらと松岡一哲写真展@テルメギャラリーを見に行った。
イッテツくんとは最近DJの時に出会ったのだが、大学が同じで地元がほぼ同じ、
さらに奥さんのmariiちゃん(美人)とは、大学時代にM出版社で一緒にカメラアシスタントでしごかれており、
同じく奇跡的な再会を果たした。
夫妻の営むテルメギャラリーは、都立大の商店街の八百屋の隣にある。

そして、この写真展がとても良かった。
可愛いい女の子のポートレイトや日常の景色には
目に見えない余白のようなものを強烈に感じて、
音楽でいうとダブ感覚、音のすき間の無音に宿るもの、
もしくは印刷の版ズレのようなゆらぎが滲んでいた。

写真は英語では光を描くという意味で、つまり真を写すものではないらしい。
光には様々な波長のスペクトルがあって、可視光線も不可視光線も含んでいて、
それはいつも虚と実のまわりでゆらゆらと揺らいでる。
0と1の整列やアルゴリズム、言語や名前の概念からはみ出る余白、
それらに宿るちからは境界線をぶちこわしてくれる。

たぶんあたしたちの日常にブレッソンの決定的瞬間はない、
そこには虚実とそれを媒介する何かがあり
熱さも冷たさも、愛も毒もすべては等価なのだ。





http://www.thermegallery.com/

2011/09/19

9/11弁天ROCKERS&OPPA-LA


















今年の夏もoppa-laにお世話になりました! 
idjut boys〜アレハンドロ〜PPP〜弁天ROCKERS10周年などなど。
夏の思い出の一部を upload..




2011/08/06

Marc Ribot Y Los Cubanos Postizos




黄色がかった薄暗い照明、葉巻とラム、人々のノイズの間から立ち上る音楽。
ブエナビスタ(映画)で見たイメージくらいしかないキューバだが、彼らも偽キューバ人。
鮮やかに想像できるのは、あたしたちがそこから遠く離れているからかもしれない。

昨日、Marc Ribot Y Los Cubanos Postizosのライブ@クアトロを観にいった。
マーク・リーボーをはじめて知ったのはラウンジ・リザーズであって、
学生の時に知ったY Los〜はソロ作よりも良く聴いていた気がする。
マーク・リーボーのギターは動的なんだけれど、同じくらい禅的な静けさが並列にあって、
彼のミニマルなギターソロ最新作「Silent movie」もすばらしかった。

変幻自在のギター、空間を四方八方から満たす音とリズムの洪水、幸福感。
才能とは過剰であり、それは湧き出るもの。
圧倒的であるからこそ、絶対動は絶対静を連想させる、つまりは相対するものが際立つのであるのよね。

2011/07/31

自白に数秒

今朝。約束に遅刻しそうになり、あわてて駅近くのレンタルT屋に自転車を泊めて走る。
用事を済ませ3時間ほどして戻ると、駐輪場に自転車がない。
掲示板は、自転車は撤去したので3000円を支払って取りにこい、さもなくば廃棄処分すると言っている。
これは市の撤去料と同じ価格である。なんと、ここにも価格協定が存在したのか。
20代そこそこの警備員に、「イヤ3時間店の中にいたんですけど」と言ってみると、
「嘘をつかないでください。防犯カメラに駅に向かう姿が写ってます」と苦笑いされた。
しかもあたしは、思いっきり他店の名入りの買い物袋を下げている。
すげえなT屋…自白を促す刑事のようだ。

しゅんとしてみたら、あっけなく3000円はタダになった。
もう少しまともな嘘がつけたら、少しは人生は変わったのか。

2011/07/24













































THE GIFT 
2011/8/7SUN  HouseAJITO ¥1,500-1D 15:00-20:00 
Language,LIVELOVES,
DJ Sprinkles(aka.Terre Thaemlitz),ZECKY


2011/07/19

A SPACE ODYSSEY






















宇宙を飛んでるような猫に会った。

2011/07/13

1冊で終わる人とそうでない人の違いについて。

ミュージシャンには一発屋がいて、小説家では一冊しか本を出さない人がいて、
その一方で延々と続けられる人もいる。その違いって何なのか。
創作し表現する人がアーティストである、とするならば、
そもそも人はなぜアーティストになるかということなのだけど、
それはきっと、誰に言われるでもなくアーティストになるというのが本当であって、
なぜならアーティストでいられない”自分”は、存在することが不可能だからである。

1冊出すことはある意味儀式で、とりあえず表現は認められ、承認欲求は満たされる。
つまりは自己実現で、問題は、その後創作欲は残るのか、だんだん減るのか、なくなるのか。
満たされたのに、やめるのをやめた時には、次第にアーティストという型を追った、
その道を歩いているだけの人になって、型通りのアーティストらしき言動をなぞったりする。
満たされないでいることが願いになる。
さらに、世の中には芸術をありがたがる人達がいて、ややもすると、そのような言動はアーティストらしく望ましい、
と崇拝されてしまうのであって、その本人もやめられない。芸術至上主義もなんだかな。

本を1冊書いて書いた気になっているなよ、と知人が言った言葉はある意味真実だと思う。
大切なのは、自分を更新しながらずっと続けていくことなんだろう。

世の条理あるいは不条理に何らかの強い感想を持ち、自分の信じる理想や美を求めて
新たな価値でもって世の中を変えたいと願い、新たな世界をつくること、
見えないものだからこそ、創作することで答えを探し真理を手に入れること。
何より夢中になること、オブセッション。
その理想が、奇跡的にも社会や人類や、あるいは自然全体の願いになったときに、
もしかしたら非アーティストはアーティストになるのかもしれない。
一方で強烈な負の願いが表れることもあって、それはファシズムや戦争でもあるのだろうけど、
やっぱりあたしは、最終的に美しいものや真理が残っていくと信じたい。
たとえゴミみたいに汚く見えるものであっても。

今この瞬間も、世界中の人々は大小の部屋であらゆる言葉を使って書く、
あるいは非言語で歌い叫び、描いている。
同時に、「アーティストの肩書きを無くしたときに、何ができるか」と言った文筆家の友人の言葉をぼんやりと思い出す。

2011/06/07

7/2 SUMMER OF LOVES ~ALOHALOHA~


SUMMER OF LOVES ~ALOHALOHA~
2011.7.2.Saturday
start 23:00 / door 2000yen
ENOSHIMA CURRY DINNER OPPA-LA
http://oppala.exblog.jp/


-LIVE-
LIVELOVES
PEPE CALIFORNIA
(http://pepecalifornia.com)

-DJ-
二見裕志
やけのはら
FUCK MASTER FUCK

2011/05/25

空想旅行/氷の反響 ノルウェー編

週末。初夏を思わせる快晴の土曜日、
部屋の中のすべて、布団をソファを洋服を机を床を土鍋を、
すべて外に出して陽に当てたら気持ち良いだろう、と窓を開け放ち、
そのまま浮かれた気分で眠ったところ、当然の如く風邪をひき発熱した。
今週はそれをずるずる引きずり仕事をしている。
すでに皆気づいているだろうが、日本の四季は4等分ではない、1/3が冬だ。

いまは、発熱した頭で寒いノルウェーのことを考えている。
今朝、ノルウェーのパーカッショニストのライブ(@山羊に聞く?)の誘いがあった。
テリエ・イースングセット、彼は氷を叩いて演奏する。


この反響。ふとShhhhhもDJで選曲していた、スペインのオルカテックスの音を思い出す。
彼らはバスクに伝わる、チャラパルタという木琴のような伝統楽器を奏でるアーティストであるが、
現地のライブでは木片のかわりに氷の棒を使って演奏し、それが大変良かったと聞いた。
もしかしたら、ルーツが近いところにあるのかも。

そういえばノルウェーには、洞窟のかわりに氷窟がある。
古代文明では、洞窟や鍾乳洞は儀式を行う聖所であり、
儀式の音楽を奏でる場所であり、それ自体が反響する楽器でもあった。
つまり氷窟も楽器だったのかもしれなく、氷あるいは氷柱の音楽があり、
氷壁には壁画が描かれたのかもしれない。

ずっと遠くて寒い、氷の音が透明に響くノルウェー。
余談だが、北極地点の永久冷凍層に作られた「スバルバル種子貯蔵庫」も気になる。
世界の絶滅に備え、世界中から集めた”地球上で最も重要とされる種子”を保管する、つまりはノアの箱船。
果たして”最も重要な種子”を誰がどう決めるのは不明だが、現代の箱船は、どうやらノルウェーの氷の中にあるのだった。




2011/05/15

とろりとした夜の季節

土曜。渋谷o-nestにてLivelovesライブ。リハ終了後、メンバーmiya推薦の梅蘭という中華屋へ。
名物というあんかけ焼きそばをメンバー全員で食す。これは厳密にいえばあん入り焼きそばであり、
具材&あんを堅焼き麺で包んだ代物、見た目はなんというか失敗したホットケーキのよう。
パリパリとろりの具合が絶妙で美味。イベントは人がけっこう来ていて、10年来の友人らとも再会。
Dr.茶谷くんの新パンクバンドpopsカッコ良かった。
バンドは夏以降に結構ライブが決まってきていて、とても楽しみ。その前にレコーディングも進めたいところ。

ライブ後、皆と別れてbonoboへ向かい、3人組djユニットlast day bikiniメンバーでレコ屋勤務kayo、文筆家GJと待ち合わせ。
2人とは6月にbonoboで一緒にdjする予定なのだが、実はこの2人、10年以上前にマニュアルオブエラーズという
高円寺のレコ屋の1Fにあったお洒落カフェで共にバイトしてた、長い友人である。
その店は全てを4人のバイトに任されたため、日々まかないやケーキを好き勝手に作って焼いて食べて、
という夢のようなバイトであったのだが、好き勝手やりすぎたためか1年後につぶれた。
あたしらがつぶしたのか。いやもう時効だろう。

この日はサラームさんK.E.Iくんらのイベントだったが、
なぜか女装している店主セーさんとちゃぶ台を囲みイベントの話、しつつsuisideのフランスライブを鑑賞、
単純なリズムループの上でハマショー的アクションをキメるアラン・ヴェガ、投げやりなシンセを小手先で操る
マーティン・レヴ、あたしもできるかもと思わせるキッチュなパフォーマンスが憎い。来日希望。
しかしハイセンスが過ぎるkayo&GJとのトークが面白すぎてまだまだ話し足りないため、
原宿に移動して結局始発まで飲む。今年も夜中の散歩が気持ちいい季節がやってきたね。

2011/05/09

相模湖ブルース

連休終わりの土曜。
freaks festivalのため、早朝からつのだ氏と待ち合わせ、相模湖へ電車で向かう。
小雨降る中、相模湖駅で下車。客の流れに逆らい、湖に立ち寄る。


雨のためか、どこかうら哀しさが漂う湖畔、観光客は1人もいない。




永遠に時が止まったかのようなレジャー施設に心が躍る。
街にうすく流れるシンセの演歌カラオケ。
射的、スマートボール、インベーダーゲーム、当時の花形レジャーを併設する、デイドリーミングな空間。
射的すべきか本気で迷う不可思議な景品たち。





それもそのはず、ここは昭和16年に埋め立てられた日本初の人造湖であったのだ。
部落移住、強制労働、そこはかとなく漂うブルース。
完全貸切りのスワン号に乗り、山上の寂れたラブホを眺めていると、
少しずつ時空が狂ってくる。





その後、夢を覚ますようにして会場へ。
Washed outが奏でる、メロウで切なく、あか抜けないシンセウェーブには、
なんとなく相模湖の気だるい微風を感じたのだった。