”南米の作家が言った。
新しいものを作ろうとするのではなく、かつてあったものを書け”
一枚の写真、一枚の絵、一つの言葉
それは世界の捉え方の表明である
触れた瞬間に、世界がまったく新しいものに見える、新たな目を得る
例えば動いているのは地球のほうだったと気づく瞬間のように
なぜアートを音楽を文学を旅を必要とするのか
きっと新しい世界を見たいのではなく
もともとあったはずのものを見たいのだ
2011/12/18
2011/12/08
2011/11/13
mule musiq endless flight
12/9 fri @eleven tokyo
Live:
Isolee(pampa)
Arto Mwambe(live at robert johnson)
DJ:
Toshiya Kawasaki
VJ:
leitfaden
Lounge:
Ackky(Journal)
HARUKA(FUTURE TERROR)
Maki(Liveloves)
2011/10/03
余白とゆらぎに宿るもの 東京μ粒子@テルメギャラリー
日曜。
夕方にぶらぶらと松岡一哲写真展@テルメギャラリーを見に行った。
イッテツくんとは最近DJの時に出会ったのだが、大学が同じで地元がほぼ同じ、
さらに奥さんのmariiちゃん(美人)とは、大学時代にM出版社で一緒にカメラアシスタントでしごかれており、
同じく奇跡的な再会を果たした。
夫妻の営むテルメギャラリーは、都立大の商店街の八百屋の隣にある。
そして、この写真展がとても良かった。
可愛いい女の子のポートレイトや日常の景色には
目に見えない余白のようなものを強烈に感じて、
音楽でいうとダブ感覚、音のすき間の無音に宿るもの、
もしくは印刷の版ズレのようなゆらぎが滲んでいた。
写真は英語では光を描くという意味で、つまり真を写すものではないらしい。
光には様々な波長のスペクトルがあって、可視光線も不可視光線も含んでいて、
それはいつも虚と実のまわりでゆらゆらと揺らいでる。
0と1の整列やアルゴリズム、言語や名前の概念からはみ出る余白、
それらに宿るちからは境界線をぶちこわしてくれる。
たぶんあたしたちの日常にブレッソンの決定的瞬間はない、
そこには虚実とそれを媒介する何かがあり
熱さも冷たさも、愛も毒もすべては等価なのだ。
http://www.thermegallery.com/
http://www.thermegallery.com/
2011/09/19
2011/08/06
Marc Ribot Y Los Cubanos Postizos
黄色がかった薄暗い照明、葉巻とラム、人々のノイズの間から立ち上る音楽。
ブエナビスタ(映画)で見たイメージくらいしかないキューバだが、彼らも偽キューバ人。
鮮やかに想像できるのは、あたしたちがそこから遠く離れているからかもしれない。
昨日、Marc Ribot Y Los Cubanos Postizosのライブ@クアトロを観にいった。
マーク・リーボーをはじめて知ったのはラウンジ・リザーズであって、
学生の時に知ったY Los〜はソロ作よりも良く聴いていた気がする。
マーク・リーボーのギターは動的なんだけれど、同じくらい禅的な静けさが並列にあって、
彼のミニマルなギターソロ最新作「Silent movie」もすばらしかった。
変幻自在のギター、空間を四方八方から満たす音とリズムの洪水、幸福感。
才能とは過剰であり、それは湧き出るもの。
圧倒的であるからこそ、絶対動は絶対静を連想させる、つまりは相対するものが際立つのであるのよね。
圧倒的であるからこそ、絶対動は絶対静を連想させる、つまりは相対するものが際立つのであるのよね。
2011/07/31
自白に数秒
今朝。約束に遅刻しそうになり、あわてて駅近くのレンタルT屋に自転車を泊めて走る。
用事を済ませ3時間ほどして戻ると、駐輪場に自転車がない。
掲示板は、自転車は撤去したので3000円を支払って取りにこい、さもなくば廃棄処分すると言っている。
これは市の撤去料と同じ価格である。なんと、ここにも価格協定が存在したのか。
20代そこそこの警備員に、「イヤ3時間店の中にいたんですけど」と言ってみると、
「嘘をつかないでください。防犯カメラに駅に向かう姿が写ってます」と苦笑いされた。
しかもあたしは、思いっきり他店の名入りの買い物袋を下げている。
すげえなT屋…自白を促す刑事のようだ。
しゅんとしてみたら、あっけなく3000円はタダになった。
もう少しまともな嘘がつけたら、少しは人生は変わったのか。
















