ナビゲーション

2011/07/31

自白に数秒

今朝。約束に遅刻しそうになり、あわてて駅近くのレンタルT屋に自転車を泊めて走る。
用事を済ませ3時間ほどして戻ると、駐輪場に自転車がない。
掲示板は、自転車は撤去したので3000円を支払って取りにこい、さもなくば廃棄処分すると言っている。
これは市の撤去料と同じ価格である。なんと、ここにも価格協定が存在したのか。
20代そこそこの警備員に、「イヤ3時間店の中にいたんですけど」と言ってみると、
「嘘をつかないでください。防犯カメラに駅に向かう姿が写ってます」と苦笑いされた。
しかもあたしは、思いっきり他店の名入りの買い物袋を下げている。
すげえなT屋…自白を促す刑事のようだ。

しゅんとしてみたら、あっけなく3000円はタダになった。
もう少しまともな嘘がつけたら、少しは人生は変わったのか。

2011/07/24













































THE GIFT 
2011/8/7SUN  HouseAJITO ¥1,500-1D 15:00-20:00 
Language,LIVELOVES,
DJ Sprinkles(aka.Terre Thaemlitz),ZECKY


2011/07/19

A SPACE ODYSSEY






















宇宙を飛んでるような猫に会った。

2011/07/13

1冊で終わる人とそうでない人の違いについて。

ミュージシャンには一発屋がいて、小説家では一冊しか本を出さない人がいて、
その一方で延々と続けられる人もいる。その違いって何なのか。
創作し表現する人がアーティストである、とするならば、
そもそも人はなぜアーティストになるかということなのだけど、
それはきっと、誰に言われるでもなくアーティストになるというのが本当であって、
なぜならアーティストでいられない”自分”は、存在することが不可能だからである。

1冊出すことはある意味儀式で、とりあえず表現は認められ、承認欲求は満たされる。
つまりは自己実現で、問題は、その後創作欲は残るのか、だんだん減るのか、なくなるのか。
満たされたのに、やめるのをやめた時には、次第にアーティストという型を追った、
その道を歩いているだけの人になって、型通りのアーティストらしき言動をなぞったりする。
満たされないでいることが願いになる。
さらに、世の中には芸術をありがたがる人達がいて、ややもすると、そのような言動はアーティストらしく望ましい、
と崇拝されてしまうのであって、その本人もやめられない。芸術至上主義もなんだかな。

本を1冊書いて書いた気になっているなよ、と知人が言った言葉はある意味真実だと思う。
大切なのは、自分を更新しながらずっと続けていくことなんだろう。

世の条理あるいは不条理に何らかの強い感想を持ち、自分の信じる理想や美を求めて
新たな価値でもって世の中を変えたいと願い、新たな世界をつくること、
見えないものだからこそ、創作することで答えを探し真理を手に入れること。
何より夢中になること、オブセッション。
その理想が、奇跡的にも社会や人類や、あるいは自然全体の願いになったときに、
もしかしたら非アーティストはアーティストになるのかもしれない。
一方で強烈な負の願いが表れることもあって、それはファシズムや戦争でもあるのだろうけど、
やっぱりあたしは、最終的に美しいものや真理が残っていくと信じたい。
たとえゴミみたいに汚く見えるものであっても。

今この瞬間も、世界中の人々は大小の部屋であらゆる言葉を使って書く、
あるいは非言語で歌い叫び、描いている。
同時に、「アーティストの肩書きを無くしたときに、何ができるか」と言った文筆家の友人の言葉をぼんやりと思い出す。