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2011/07/13

1冊で終わる人とそうでない人の違いについて。

ミュージシャンには一発屋がいて、小説家では一冊しか本を出さない人がいて、
その一方で延々と続けられる人もいる。その違いって何なのか。
創作し表現する人がアーティストである、とするならば、
そもそも人はなぜアーティストになるかということなのだけど、
それはきっと、誰に言われるでもなくアーティストになるというのが本当であって、
なぜならアーティストでいられない”自分”は、存在することが不可能だからである。

1冊出すことはある意味儀式で、とりあえず表現は認められ、承認欲求は満たされる。
つまりは自己実現で、問題は、その後創作欲は残るのか、だんだん減るのか、なくなるのか。
満たされたのに、やめるのをやめた時には、次第にアーティストという型を追った、
その道を歩いているだけの人になって、型通りのアーティストらしき言動をなぞったりする。
満たされないでいることが願いになる。
さらに、世の中には芸術をありがたがる人達がいて、ややもすると、そのような言動はアーティストらしく望ましい、
と崇拝されてしまうのであって、その本人もやめられない。芸術至上主義もなんだかな。

本を1冊書いて書いた気になっているなよ、と知人が言った言葉はある意味真実だと思う。
大切なのは、自分を更新しながらずっと続けていくことなんだろう。

世の条理あるいは不条理に何らかの強い感想を持ち、自分の信じる理想や美を求めて
新たな価値でもって世の中を変えたいと願い、新たな世界をつくること、
見えないものだからこそ、創作することで答えを探し真理を手に入れること。
何より夢中になること、オブセッション。
その理想が、奇跡的にも社会や人類や、あるいは自然全体の願いになったときに、
もしかしたら非アーティストはアーティストになるのかもしれない。
一方で強烈な負の願いが表れることもあって、それはファシズムや戦争でもあるのだろうけど、
やっぱりあたしは、最終的に美しいものや真理が残っていくと信じたい。
たとえゴミみたいに汚く見えるものであっても。

今この瞬間も、世界中の人々は大小の部屋であらゆる言葉を使って書く、
あるいは非言語で歌い叫び、描いている。
同時に、「アーティストの肩書きを無くしたときに、何ができるか」と言った文筆家の友人の言葉をぼんやりと思い出す。

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