ナビゲーション

2011/03/14

3.11

幕張の取材帰り、電車中で大きな地震。車両が横に大きく揺れて平井駅に停車した。
乗客は車外に飛び出すが、プラットフォームは船上のように横揺れして
駅前のツインタワーはぎしぎし音を立て撓っている。
近所のネットカフェに避難したものの、ネットから流れる被災映像は現実味がない。
心配な人達に携帯メールするものの、届かないのか全く返事なし。
PCメール、twitterで友人達の安否を確認したものの、電車は朝まで動かない。
結局、夜中すぎに大量の不在着信とメールが届くが、
それまでは、狭い空間で死んだようにしんと静かなケータイを握りしめ、
回線先の暗闇に飛び込んでいきたくなるような想い。

土曜朝、電車が復旧して帰宅すると、本が傾れ食器が割れている。
家族と電話がつながり、一番に会いたい人に会って触れて、安心して力が抜ける。
原発爆発が心配すぎるが、ひとまず友人達や仕事先の人は無事のよう、
夜は近所のeriちゃんと鍋をして夜更けまで話し倒し、そのまま泥のように眠る。

今日は昼過ぎに起き出し、eriちゃんと井の頭公園まで歩く。
公園は春めいていて、あっけらかんとした光の中で木々、湖、鳥、
ランニングをする人、子連れの家族、犬の散歩をする人、手をつなぎ歩く男女、
芝生の上のグループ、男、女、老人、子供、外人、
そこには驚くほど変わらない日常があって、皆がそれを噛みしめているように見える。
それはいつも以上に日常、白昼夢を見てるようで目眩がする。

変わらずメディアの情報は錯綜気味、さまざまな人達の思いが空気中に飽和しているかのよう。
日常気づかなかった幸せと、見ない振りしてた自分の無力さを1:1で痛感。

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